社会変革のための活動
みなさんに知っていただきたい
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理事長対談シリーズ
理事長対談シリーズVol.2
澤村 公康 氏
日本プロサッカーJ2リーグ ロアッソ熊本トップチーム ゴールキーパーコーチ
■Guest Profile■
元日本高校選抜ゴールキーパーコーチ、元女子日本代表GKコーチ、JFAナショナルコーチングスタッフ
中学時代のサッカー部でゴールキーパーにのめりこんで以来ゴールキーパー一筋の高校、大学時代を送る。大学卒業後は、鳥栖フューチャーズ(現サガン鳥栖)を皮切りにブレイズ熊本、浦和レッドダイヤモンズ、女子日本代表、川崎フロンターレ、日本高校選抜等でゴールキーパーコーチを務め数多くのゴールキーパーを育て上げる、ゴールキーパーコーチのスペシャリスト。2015年1月、ロアッソ熊本トップチームゴールキーパーココーチに就任し、活躍中。
日本で40人しかいない職業に就く方法
「今を生きる」Jリーガーと指導者たちの戦場で今、伝えたいこと
第1章:はじめに言葉ありき
小楠:こんにちは。今日はプロのサッカー、ゴールキーパーコーチであられる澤村公康先生と対談をさせていただきます。
澤村先生は非常に珍しい、自体が、そもそも非常に少ない仕事をされています。
澤村:私自身は現在Jリーグ ディビジョン2 ロアッソ熊本・トップチームのキーパーコーチに就いております。
JリーグはJ1・J2合わせて40のチームから成り立っています。(2015年現在)
その中でもトップのゴールキーパーコーチというと、そのチームに1人しかいないポジションなので、数少ない中に就かせてもらっている、ということになります。
小楠:現在J1が18チーム、J2が22チーム、合わせて40チーム。
つまりこの職業についている指導者は国内で40人しかいないということですね。
これはJのレギュラーになるよりもはるかに難しいということになります。
澤村:各チームに1人のポジションなのでそういうことになります。
小楠:澤村先生は何歳からサッカーをはじめられたのですか?
澤村:私は小学校までは野球をやっていましたが、あるきっかけで中学2年生からサッカーをやるようになりました。
小楠:14歳からサッカーを始めたわけですが、もちろん職業にしようとしていた訳ではないですよね?
澤村:はい、全くないです。
ただ楽しいというだけでやっていました。
小楠:楽しかった。好きだったということから始められて、今では職業としてやられているわけですが、プロになられたのはおいくつでしたか?
澤村:プロになったのは、大学を卒業して3年目の25歳からです。
小楠:少し話が前後してしまいますが、澤村先生の生い立ちから伺っていきたいと思います。小学生の時にはサッカーはされていなかったということですが、興味がなかったということですか?
澤村:はい。全くありませんでした。
小楠:全く?
澤村:私は東京都の出身なのですが、野球では都の選抜チームのキャプテンでした。
小楠:それは凄いですね。
澤村:将来はプロ野球選手になろうと思っていました。
阪神タイガースが好きだったんですね。
小楠:東京なのに阪神タイガースですか?
澤村:はい。私は掛布選手が好きだったのでタイガースに入ろうとしていました。
小楠:ということは、野球では東京都内で一番だったということですね?
澤村:そうですね。上位にはいたと思います。
小楠:それは凄い選手ですね。
澤村:今思うと、そうですね。
小楠:そのときはそういう意識はなかったのですか?
澤村:はい。全くありませんでした。
小楠:それも結局好きでやっていたらそうなったということでしょうか?
澤村:そうですね。
好きでやっていて、自己主張はよくしていたと思います。
チームを勝たせる為には、もっとこういう風にしたらいいのではないかとか、こんな練習をしたらよいのではと、監督や、コーチ、チームメイトにもずばずば言っていた小学生でした。
小楠:その当時から、自分の意思を相手に伝達するというところは野球選手としても必須であり、そのような能力を持っていたということですね。
澤村:それは昔からあったと思いますね。
小楠:そこが非常に興味深いところなので、もっと掘り下げていきたいのですが、やはりどの世界で活躍するにしても自分の意思の伝達という事は必須だと思います。
それはどのようにしてその年齢で身につけられたのですか?
澤村:母が幼稚園の先生をやっていて、教育者だったのでその影響がすごく大きかったと思います。
母が良く私に問いかけてきたのは
「あなたはどうしたいのか?」
「なにを思っているのか?」
ということです。
言葉はままならなかったとは思いますが、自分の意見をちゃんと伝えることや自分の意思を伝えるスキルは身についていったのだと思います。
小楠:なるほど。先程の
『あなたは何を思っているのか?』
とはどういう意味ですか?
澤村:顔の表情を見て
「あなたが今思っていることがどんな感情なのか?」
「どんな気持ちなのか?」
ということを母にはよく聞かれました。
小楠:「今の気持ちを自分で表現しなさい」
ということをお母さんからずっと教育されてきたということですね。
澤村:はい。ですから今の仕事にはすごく活きていると思います。
選手がその時々に、どういう表情をしているとか。
キーパーが失点したときに悔しいのは当然ですが、それが納得した悔しさなのか、全然納得していないのかなど…。
それはその都度、選手の表情を見て、僕等が伝えなければならないアドバイスというものも変わってきます。
コミュニケーション能力ですね。
小楠:「コミュニケーション能力」というキーワードが出てきましたね。
これはものすごく本質的な問題だと思います。
ある意味で、私たちの細胞の究極的な目的は一つしかないと思っています。
細胞の中にあるものは遺伝子です。
あの螺旋です。
遺伝子は何の為に存在するのかと言えば「情報の伝達」です。
僕等が何故、長生きすることを望むかといったら、それも情報の蓄積です。
今日生まれて明日死んでしまったら、情報は蓄積できませんから、なるべく長い時間生きて情報を蓄積しようとします。
その蓄積した情報をどうやって、他者に伝達していくのかと考えた結果、人間が編み出した答えが「言葉」だった思うのです。
澤村:なるほど。
小楠:それが上手くできなかった種族というのは死に絶えたんだと思います。
僕等の知らないいろんな種族が多くいたと思うのですが、今化石で発掘したものの中には僕等よりも脳の容量が大きかった種族も過去にいて、死滅してしまっているんです。
それが何故なのか、いろんな仮説がありますが、やはり情報伝達能力、言葉の言語能力というところが弱かったため、情報共有も出来ず、あそこに行ったら危ない、あそこに行ったら食料が沢山ある、あそこは暖かい、といった情報が共有出来ないことによって滅びてしまったのだと思います。
澤村:はい。
小楠:ですから今お話を聞いていく中で、僕等の究極目的と先生が親御さんから教育された自分の気持ちや情報を伝達する能力というのは非常に大切であり、その年齢からそういった教育をさせることはとても重要なことだと感じました。
それで野球は野球で楽しかったんですよね?
今を生きるために大切なこと①
澤村語録:自分の気持ちを言葉で伝える
第2章:分からなかったら人に聞く
澤村:はい。楽しかったです。
中学校に入学をして野球部に入ったのですが、ある時素振りをしていた部員のバットがすっぽ抜けて事故をおこしてしまい、休部扱いになってしまいました。
学校もゆるかったので、休部の期間は好きな部活に行っていいと言ってもらえて、当時「キャプテン翼」という漫画があり、僕も知っていたのでみんなでサッカー部の体験をしに行こう!となりました。
そこで、僕は3日くらい遅れて行ったんです。
夏の暑い日でしたがサッカー部の部員はガンガン走っていて、僕はあまり走るのが得意ではなかったので、これは僕のやるスポーツではない、と思いグランドを後にしようとしたところ、砂場でゴールキーパーの人たちがボールに飛びついてダイビングキャッチの練習をしていました。
ぼくは野球でセンターのポジションにいたので、ボールに飛びつくのは好きでしたし、楽しそうだというところからゴールキーパーの人生が始まってしまいました。
小楠:おお〜!何でも縁というか、タイミングですね。
澤村:そうですね。そのサッカー部の先輩にキャプテン翼の漫画を貸してもらいました。
ゴールキーパーは堅実に守る若林くんと派手に守る若島津くんというキャラクターがいて、僕は若林くんがいいなと思ったので彼のトレードマークのアディダスの帽子を買って、ゴールキーパーの練習を始めました。
そういう単純なきっかけです。
小楠:良いですね。それで野球はもう置いといて、サッカー部に入ったんですか?
澤村:そうです。サッカーのゴールキーパーにのめりこみました。
小楠:いきなりのめりこんだんですね。
でも、サッカーを始めて、いきなりゴールキーパーになる人は、その当時あまりいないような気がしますが。
澤村:そうですね。
私は野球でも攻撃より守備が好きだったので、守ることやボールをとることがすごく好きでしたし、当時はドッヂボールも流行っていましたから。
ドッヂボールにしても逃げるよりも自分から向かって行ってボールを捕ることが好きだったので、それも理由だったのかも知れません。
小楠:私はあまりサッカー部の様子はわかりませんが、今まで野球をやっていてサッカーをやろうかなと思い、いきなりキーパーを志望してきた人を受け入れてくれたことが凄いと思います。
澤村:そうですね。それは有り難かったです。
今は違いますが当時はゴールキーパーというと走れない人にやらせたり、点数を取られた時に責任を負わされてしまうようなポジションだったので、どうしても性格が弱い子や走れない子がやったりしていました。
それを考えると、前向きにゴールキーパーをやると言っていた僕は、貴重な存在だったのかもしれません。
小楠:ところで、そのサッカーチームは強かったんですか?
澤村:全然強くなかったです。
小楠:全然ですか? 部員は何人ですか?
澤村:部員は3学年で30人とか40人弱くらいでした。
当然Jリーグもなかった時代だったので、みんな好きに楽しくサッカーをやろうという感じでした。
先生も人格者でしたがそこまで強制的にこれをやれ、あれをやれという指導ではなかったので自分たちで考えて練習をしたり、良いボールの取り方はどんな風だろうということを調べたり、先輩に聞いたりと、見よう見まねでやっていた中学3年間でした。
小楠:確かに澤村先生は現在キーパーというポジションに特化して技術を指導する職に就かれていますが、キーパーコーチという人自体がその当時にはいなかったんですよね?
澤村:そうですね。私がサッカーをはじめた中学時代は日本ではキーパーコーチは、1人も居ませんでした。
小楠:1人も?
澤村:1人もいなかったと思います。
私は高校では三菱養和というクラブでサッカーをしていたのですが、もちろんそういった専門のクラブチームにもキーパーコーチはいませんでした。
後々聞いた話ではヨーロッパや南米などサッカーの先進国は昔からゴールキーパーコーチ、キーパートレーナーというポジションのコーチが確立されていました。
海外ではゴールキーパーはすごくリスペクトされているポジションであり、一番大切なポジションだと言われているので、そこにはスペシャリティのあるコーチがいて当然でした。
日本では点数を取られたらキーパーの責任、サッカーが下手だからキーパーをやれ、というポジションでしたから、特別なコーチを置かなかったことも理解できるなと、今では思います。
小楠:私も年齢が近いので当時のそういった雰囲気はわかります。
東京都内で野球のトップクラスの逸材が、強くもないサッカーのチームに入ってきたという凄さ。
その凄いことが起きている事に本人含め誰も気づいていなかったと思うのですが、これはある意味、今になって思うと凄い出来事ですよね。
澤村:そうですね。それだけキャプテン翼という漫画には影響力があったんでしょうね。
小楠:ヨーロッパのスタープレイヤーでもキャプテン翼の影響を受けている方は沢山いますよね?
澤村:多いですね。
例えばイタリアのデルピエロもそうですし、ジダンやロナウジーニョ、トッティーもそうです。
作品に出てくるシュートを練習していたとか、影響を受けたことを数多くの選手が公言しております。
(日本国内でももちろん、中田英寿選手、川口能活選手、中村俊輔選手も原作を愛読していたことを公言しております。)
小楠:そこで、野球で実績を残した澤村少年が普通のサッカーチームに入ってサッカーを始め、コーチも居ない中でどうやって情熱を保ち、更なる情熱を燃やしたのか?ということを教えて下さい。
澤村:今思うと知らない事だらけでしたから、毎日ゴール前に立つことで
・出来ることが増えていく実感
・知らなかったことが分かってくる実感
・出来なかったことが出来るようになったときに周りの目が変わってくること
自分でもそういうものが凄く気持ち良かったのではないかと思います。
小楠:なるほど。そういった喜びがあるというのは分かりました。
もう一つ疑問に思うことは、もう一度野球をやろうという気持ちにはならなかったのですか?
澤村:全くなりませんでした。
小楠:えっ!? それは野球を嫌いになったのではなく本当にサッカーの方が楽しかったということですか?
澤村:自分に合っていたんだと思います。
それに今思うと、現在ゴールキーパーコーチで仕事ができているのは、あの『バットすっぽ抜け事件』が起きなければ…。
野球部が休部にならなければ実現していなかったことです。
多分、今頃は阪神タイガースに入っていたかもしれないです。
小楠:本当ですね。プロ野球選手になっていたかもしれないですね。
休部にならなければ野球を辞める理由がないですからね。
澤村:ですから今の仕事で選手に伝えていることの一つがここにあります。
野球部が休部になったことは、おそらくその当時までの人生で一番ショックな出来事でした。何故こんな事になってしまうのかと。
それが今思うとあの出来事があったから今の自分がある。
ゴールキーパーはどうしてもリアクションのポジションなので思い通りにいかない事が多く、そこで精神的に弱くなってしまう選手が多いです。
私は中2でそういった理不尽な事で今の人生が切り開かれて行ったので、マイナスな事がどこかで
「縦線が入ればプラスになる」
という考えは、そのとき自分自身すごく勉強になったと思います。
小楠:今のは凄くキーワードというか、分かりやすいですね。
マイナスに縦線を入れたらプラスになる。
澤村:どこでもいいので、少しでもいいので縦線を入れれば、マイナスがプラスになってしまいます。
小楠:競技を続けていく喜びとしては、自分が成長、進化していくということに飽きる人は確かにいませんね。
澤村:そうですね。
字のごとく自分から「進んで化けた」ということですね。
小楠:良い言葉ですね。
澤村:はい。
もちろんチームでは朝練も無かったのですが、もっとこういうシュートを止めたいとか、こういうボールを取れるようになりたいということを考え、仲の良い友達に朝早くグラウンドに出てきてもらって朝練をしたり、居残り練習をしたりしていました。
今思えば、誰かに頼まれたり言われたりしてやったことでは無かったので、自分の力になる一方だったと思います。
小楠:それは自主勉強というか、コーチがいないわけですから、どのように練習を行っていたんですか?
澤村:当時はサッカーマガジンやサッカーダイジェストといった雑誌はありましたが…。
小楠:情報が無いですよね。
インターネットもないし、Jリーグをテレビでやっているわけでは無いし…。
澤村:ですからゴールキーパーの特集があっても1プレーの連続写真が1、2シーンあるくらいで、それをいかに自分で繋げてイメージを持てるかを考えていました。
小楠:なるほど。それでイメージ力とか脳を鍛えていったわけですね。
澤村:そうです。
朝練を付き合ってくれていた友達などに、連続写真を撮ってもらうことまでは出来ませんが、自分の動きがどのように見えているか、ダイビングキャッチをするときに自分がどのような空中姿勢になっているか、などをこと細かに聞くことで、情報が無い中でもイメージを膨らませたりしていました。
自分が良くなるためにはどうしたらいいのだろう、ということは凄く考えました。
また自分で分からなかったときに聞ける仲間がいました。
これも母に教えてもらった教えの一つです。
「分らなかったら自分で考えるよりも人に聞きなさい」という話です。
小楠:なるほど。これはお母さんの影響も非常に大きいですね。
確かに成功している人に、共通して言えることにお母さんが凄いことです。
例えば「思考は現実化する」という著書を書いたナポレオン・ヒル博士という人がいますが、彼がはっきり言い切っていることがあります。
それは『自分がこれから生きて行く中でどんな偉業を成し遂げようが、二人の人間のおかげでしかない。』という言葉です。
一人は自分のお母さん、もう一人は自分の妻だと言っていました。
その理由は、この二人は絶対に自分を否定しない。
澤村:なるほど、否定をしない。
小楠:否定もしないし、言ったことに対して「それは良い、必ず出来る」と言うんです。
ナポレオン・ヒル博士の母の有名な話では、旦那は馬の蹄鉄をつくる鍛冶屋が高じて人の入れ歯を作るようになり、続けていたらある日突然警察が来て、歯医者でもないのに勝手なことをするなと言われ商売が出来なくなって困ってしまうんです。
そのとき母は『歯医者になればいい』と言ったのです。
ヒル博士の父は40歳を過ぎていました。
旦那はお金もないのになれるわけがないと言っても母は「成れる、あなたなら出来る」と言い続け、彼は本当に歯医者になり、大学を首席で卒業した。という話があります。
こういう話はナポレオン博士以外にも結構多いですね。
澤村:そうなんですね。
小楠:やはり澤村先生のお母さんの教えの中でも
「自分の考えや気持ちをしっかり伝えること」
「分らなかったら人に聞きなさい」
というのは本当に重要なことですね。
澤村:はい。
やはり自分の頭で考えていても一つの言葉でしか出ないと思うので、逆に他の方に「自分はこう思っているけど、どうですか?」と聞いたら、また違う意見が入ってきたりもします。
そうすれば選択肢がさらに増え、一人で悩むよりも良い答えが出ます。
小楠:間違いないです。人の和ですね。
ではさっきの話に戻りますが、2人か3人友達がいて、コマ割りのシーンを見てそれを自分の脳の中でイメージし、三次元化(3D化)してイメージ通り自分の体を動かす。
また友人から見てもらって自分がどうなっているのかなどを確認しながら脳の中の3Dを膨らましていく、というのはある意味すごい脳の訓練ですね。
澤村:そうですね。脳の訓練だったとも思うし、そのときの僕はすでにキーパーコーチになっていたんだろうなと思います。今思うとですよ。
私は学生までしか現役でサッカーを出来ませんでしたが、身長も175cmしかなく世界のゴールキーパーとなると2m近いので当然自分はスモールキーパーなんです。
小柄な選手なので、大きな選手に負けないために、体を大きく伸ばしてプレーしないと勝てません。
ですから目一杯体を伸ばしてプレーしたり、とにかく全身で大げさにプレーするというような所も小さかった頃こそ身についた能力です。
キーパーコーチになって技術を教えるときにも大げさに動きを伝えることが出来ます。
そうすることで丁度よく動きが目に入り、耳に入り、心に入ってくるという良いサイクルが作れたと思います。
小楠:これはもっと細かに言うと、動画を撮っているわけではないので、相手に見てもらい、また言葉の伝達ですね。
足が上がっているかどうかなど、言葉を聞いて脳の中で3D化するというような脳の訓練を行っていたということですね。
目、耳、心のサイクルを作っていたというのも、すごい話ですね。
澤村:やはりありがたかったのはその友達が思ったことを正直に言葉に出して僕に伝えてくれたことです。
その言葉を真摯に受け止めて頭の中で考え、3D化し、砂場などでダイビングキャッチの練習をやってみたり出来たことです。
ですがそれをしていて、恥ずかしいと感じることは全くありませんでした。
「今の上手くできていたでしょ?」とか「これが良かったと思う」と自己評価をすると「澤村ごめんそこは見てなかった」と言われたりして「またもう一回」というように…もう反復練習が楽しくて仕方がありませんでした。
でもそのときに思ったのは、練習でやるプレーとゲームでやるプレーは全然違うものなんだなということです。
小楠:それはどういうことですか?
澤村:練習でやるプレーというのは自分が上手くなる為のもので僕の技術を上げる練習ですが、ゲームではゴールキーパーである自分をなんとか打ち破ろうというボールしか来ません。
自分の世界だけで頑張っていてもゴールキーパーは駄目なんだと、そのときに気が付きました。
キーパーはどうしてもシュートする人間との勝負になるので、僕からの目線だけではなく、シュートする立場からどうやって見えているかという視点からも考えられるようになったので、それからはおもしろくなってきました。
小楠:分からないことは人に聞けというのと同じで、要は沢山の視点を持てということですね。
よく言うのは鳥の目、虫の目、魚の目ですね。
これもある意味「脳の使い方」ですね。
(鳥の目=高いところからの視点 虫の目=細かい、近い視点 魚の目=深く潜った流れを読む視点)
今を生きるために大切なこと②
澤村語録:分らなかったら自分で考えるよりも人に聞け
●この対談はこの後、
第3章 素直さ
第4章:自由とは
第5章:今
と続きます。
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電子書籍版
書籍版
次作もあわせてご覧ください
思想家とプロゴールキーパーコーチが語る
サッカー日本代表候補に選出される方法
言葉と想いが成功を作る
著者:澤村 公康 小楠 健志
日本代表候補に選出された
シュミット・ダニエル選手(Jリーグ・ベガルタ仙台所属)
との対談を巻末に掲載!